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社会人生活が始まりました。(金太郎えり)
大学を無事卒業し、社会人生活がスタートしました。
2017.04.01
2020.07.22
卒業から2年が過ぎ、しっかりとお仕事をしています。
なので、しばらくぶりに更新します。
彼女の就活は、教員採用試験1本でした。
教員採用試験は、近隣県では同日試験実施のため、
1都県しか受けられません。
そんなこんなで、
地元の採用試験を受けるかも知れないという親としての淡い期待もありましたが、
千葉での都会生活に慣れてしまったら、
田舎へ戻るはずもありませんでした。
当然といえば当然のことでしょうけどね。
<千葉にて教員生活スタート>
2017年の4月からは、採用してくれた千葉県で教員生活をスタートさせてくれました。
金太郎えりにとっては、卒業と同時に採用となることは確信していたようで、
何の心配なこともなくスタートできました。
<バスケ部顧問の1年目>
教員1年目の生活は、ちょっとハードなものとなっていたようです。
それは、部活動の顧問となってしまったからです。
「小・中学校時代にバスケの経験あり。」
↓
「勘違いされて、ちゅうがく・高校時代にバスケ経験者」
と思われてしまったのが運の尽き。
「女子バスケ部の正顧問」となってしまったのです。
右も左もわからない中での運動部顧問は、大変だったことと思います。
土日はほぼ練習で埋まりました。
長期休業中も当然のことで、自分のための休日はなくなるという運命でした。
<2年目は文化部顧問+バスケ部副顧問>
教員生活2年目で、新たなバスケ部顧問が来てくれましたので、
正顧問から外れることができました。
遠征や合宿などでは「副顧問」として引率などもしましたが、
それでも1年目ほどの忙しさはなくなり、
文化部の顧問としての活動が主体となりました。
<コロ助の中の3年目の教員生活>
全世界的なコロナウィルスの影響で、
休校やリモート学習が続く中、試練の3年目がスタートしたようです。
それでも3年目ていうことで、仕事にも慣れて、
どちらかといえば悠々自適な教員生活ではないかと思われます。
同居する弟2人の食生活などの面倒を適度に見ながら、
異動を見据えての教員生活です。
来春には、2人の弟たちも社会へと旅立つ予定ですので、
独り暮らしになりそうですね。
2020.07.22 金太郎パパ 追記
以下工事中
(^^ゞ
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